2014年8月8日金曜日

RIDを始めた頃やDJを始めた頃

~回想~


大学に入ったときは、意気揚々と「なんか楽しいことやりたい!」って思ってた。
それで色んなサークルを見て回ったりしたけど、しっくりくるものがなかったり、溶け込める気がしなかったりで中々決まらなかった。
新歓にもいくつか行ってみたけど、何しろお酒が苦手だし初対面の人と話すのも疲れるし、つらい思い出しかなかった。

それで、結局俺には陸上しかないんだな。と思って、体育会陸上部に入った。
同好会もあったけど、同好会のノリでやりたくはなかった。あと高校のインハイ予選での悔しさが残ってたり、陸上を諦められなかったのもある。

だけどやっぱ甘くなくて、ブランクもあったしとにかく結果を出せなかった。
練習は勿論頑張ったけど、でも高校と大学じゃ全然環境が違った。
みんな時間が合わないから一人で練習することも多かったし、大学に競技場もなかったし。(高校はあった)

それで、すごく悩んだけど、一年のシーズン終わりで部活を辞めた。
話を聞いてくれた当時のチームメイトには本当に感謝しかない。


それで二年からはキャンパスが渋谷に移るってのもあり、今更大学のサークルには溶け込めそうにないし、原宿で活動できないかと考えた。
服が好きだったから。
当時はストリートスナップ全盛期で、高校三年~大学一年ぐらいは暇さえあればDROPやRIDのスナップを見ていた。

ほんでそのRIDがスタッフを募集してたので参加した。

スタッフの中には美容学生や服飾学生が多かったし、人脈の全くない俺は最初はどうしたらよいかと困った。
服は好きだったけど、注目されるようなセンスなんてなかったし。
だからとにかくスタッフの仕事をがむしゃらに頑張ることにした。
原宿に集まってわいわいやってって友達増やしてって感じの人も多かったけど、
その中で俺はハントもスチール(撮影)も事務所作業(写真加工・HP更新)も全部やってみた。

それが功を奏してか、仕事を任されるようになってディレクターにもなったし、写真とかフォトショとかHTMLとか詳しくなれたのは大きかったかなと今は思う。
でもなによりディレクターになってとにかく人脈が広がった。それが後にイベント運営やDJ活動に繋がったと思う。

その中でRIDはパーティー撮影もやってるので勿論それもやった。初めてのクラブ。
とにかくがむしゃらにパーティー撮影に入りまくった。
一番しんどかったのはAtomでの撮影。やっぱりギャルやギャル男は苦手。(嫌いではない。良い人もたくさんいる。)

そこでクラブって、DJって面白いと思った。
で高校の同級生がDJやってたってのもあり、同じく高校の同級生と一緒にDJを教えてもらってた。
後にその一緒に練習した同級生と三茶に住むことになって、2人でCDJとミキサーをお金出しあって買った。
その同級生と一緒に住んで、お互い頑張ろう!って共同生活してたのは色んな意味ですごくいい経験になった。
一番身近であり、一番尊敬できる人で、引っ越すときはお互い別れ際に泣いたりした。

DJ始めた頃の話に戻ると、いきなり現場に出れるわけでもなく、でもDJの知り合いはそれなりにいたので、自分でイベントをやった。それが最初のDJ。
最初にイベントをやったこともあり、そのおかげで声をかけてもらえることも増えていった。
そこからは武者修行。AsiaのラウンジやeverのラウンジやsolfaのラウンジやAirのラウンジや、とにかくやってみた。
基本ミニマルやテックハウス系が多かったかな。しんどい現場もあったけど、とにかく場数を踏みたくて頑張った。

そのうちアニメネタもいけるイベントの出演も出てきた。
その辺は斉藤兄弟のおかげだ。今じゃアニソンのイベントは全くやらない2人だが当時はアニソン要素を入れたイベントもやってて誘ってくれた。

そこから今に至るって感じかな。。


時系列は変わるけど、ネットレーベルやアニソンDJに興味を持ったのはDJ始める前からだった。
今でも仲良いけど、RIDの友達にMOGRAの存在を教えてもらって一緒に遊びに行ったり。
ちなみにそのときに会ったのがお父ちゃん。お父ちゃんもスナップのスタッフやってた時期があったので意気投合。

日本のネットレーベルとかもその辺りで友達に教えてもらったりしてよく聴いていた。

で、さらに言えばRIDはever時代の電刃で撮影してたし、電刃自体ファッション色も強かったので知ってはいた。
アクシスでの電刃行ったときは今でもよく覚えてるし色々衝撃だった。

ネットレーベルではないけど、化物語コンピはめっちゃ聴いてた。だからsHimaUさんとかも知ってて電刃出るから楽しみにしてて、
それで生でsHimaUさん聴いたときから完全にブレイクコアやナードコアにはまった。
衝撃すぎて自分で撮った映像。我ながらFujiyama Gangsta Breaksの時に撮ったのはGJ。
これが後の他のイベントでのsHimaUさん紹介で使われてたのはめっちゃ嬉しかった。



それでテクノとかのDJをやりつつも(誘われる現場的に)、隙あらばネットレーベルの国産曲をかけてたしなんならアニソンのブートかけたりしてた。
目標はMOGRAのアニソンマトリクス出演だった。

だからマトリに初めて出るとき、斉藤兄弟のIVO-Zさんと一緒だったのは本当に嬉しかったし心強かった。



~回想終わり~

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